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東京高等裁判所 昭和47年(う)240号 判決

控訴人・被告人 小幡萬夫

弁護人 山本稜威雄

検察官 中野博土

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人および弁護人山本稜威雄各作成名義の各控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用し、これに対して、当裁判所は、記録を調査し当審における事実取調の結果に基づき、つぎのとおり判断する。

一、被告人の控訴趣意および弁護人の控訴趣意第一の一、二(商品取引清算益は課税所得か。事業所得か。)について

(一)、商品取引所において一定の商品について先物取引をすること、すなわち商品先物取引は、一般顧客の場合、買つた商品の値上りを待つて売るか、売つた商品の値下りを待つて買うか、そのいずれかによつて差額の利得を目的として行われるものではあるが、商品の価格は期限内に「上る」か「下る」か「横ばい」のいずれかであり、もし商品の価格が上れば買い建てしていたときには利益となるが、売り建てしていたときには損になる。商品の価格が下つた場合にはその逆になる。横ばいであつたならば手教料だけ損となる。要するに、一般顧客の商品先物取引は、損をするか利益となるかのどちらかであつて、相場取引である以上当然のこととはいえ、確実な成算のある取引ではない。

したがつて、その差金決済によつて生じた利益(以下商品取引清算益という)は偶発的性質を持つているものであるといわなければならない。継続して相場を張つた場合に必しも毎年継続して商品取引清算益が生ずるとは限らないこと各所論の指摘するとおりである。

しかし、そうであるからといつて、一般顧客の先物取引による商品取引清算益が課税所得を構成しないものであるというわけにはいかない。

考えてみるに、所得税法は、課税物件たる「所得」を正面から定義した規定をおいていないので、「所得」とはなんであるかはもつぱら同法の他の規定の解釈から理解しなければならないところ、所得は発生原因やその種類によつて担税力に相違のあることから、所得税法はその二三条ないし三五条において、所得を発生原因から考察して、利子所得・配当所得・不動産所得・事業所得・給与所得・退職所得・山林所得のほか、さらに譲渡所得、これらの八種類の所得以外の所得のうち営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務または資産譲渡の対価としての性質を有しないものを指称する一時所得、および以上のいずれにも該当しない所得を包括して指称する雑所得の十種類に区分して、これらを課税物件たる各種所得としてその金額の計算方法につき規定している(一般的には、その年中における各種所得の収入金額から必要経費を控除した残額とする)。

他方、その九条、一〇条、一一条では担税力が薄弱であるとか、徴収技術上あるいは公益または政策上の理由から、二十数項目にわたる多数の非課税所得を列挙し、そのほか租税特別措置法やその他の法令にも、特定の利子や給付金などを課税除外所得とする規定をもうけている。

右のように現行税法は、所得を一定期間における各人の勤労や資産等より生ずる継続的な収入からこれを得るに必要な経費を控除した残額というような所得源泉の限定はしておらず、広く資産の譲渡により実現された経済的利益、賞金や競輪競馬等の投票券の払い戻し金等の一時的、偶発的な経済的利益、その他いやしくも収支計算上各人に帰属した経済的利益は、すべて所得に包含されるとして、これを課税の対象にとらえようとしていること、そして多数の非課税所得を所得税法その他の法律の規定上に挙示していることをあわせ考えると、現行税法は納税義務者各人に発生帰属した経済的利益のすべてを所得といい、所得税法やその他の法令上において明らかに非課税とする趣旨が規定されていない以上、その所得の生じた原因または法律関係のいかんを問わず、それは課税の対象たる所得を構成するとしているものと解される(財政法八条参照)。

ところで、一般顧客の商品先物取引は実物取引ではなく、これによつて生じた商品取引清算益が僥倖的な性質を有するものであるとはいえ、それは顧客の収得した金銭的利益であることに相違ないところであるし、これを非課税とする規定はないのであるから、一般顧客の場合であつても、この商品取引清算益が所得税法上の課税所得に当ることは明らかである。

各所論は、商品先物取引は利益の確率のないもので、一時的には利益を挙げても、二、三年取引を継続すれば結果的には赤字となるものであるから、その利益は実質的には仮受金的性質のものであつて、一暦年間の所得をとらえて課税する所得税法上の所得にはなじまないものであり、商品取引清算益に右法律を適用して課税することは租税負担の公平の原則に反するばかりでなく、実質的には所得なきところに課税することになり、所得税制の根本原理にももとるという。しかし商品の先物取引が確実な成算のない取引であるといつても相場変動の見込みが的中すれば利益となるわけで、長期間これを継続して行なつた場合に必ず損失をまねくとも限らない。

したがつてまた商品取引清算益を仮受金的性質のものとみることはできないのであつて、各所論のこの点に関する主張は全く独自の見解で採用できない。この商品取引清算益を一暦年ごとに区切つて課税所得としてほそくすることはなんら租税負担の公平の原則に反しないし、所得のないところに課税することにもならない。

各所論は、また有価証券の譲渡による所得が原則として非課税とされていることに微しても、株式の信用取引とその取引態様を同じくしている商品先物取引による商品取引清算益については、これを非課税とするのが当然であるというけれども、有価証券の譲渡による所得を原則として非課税としたのは、国民大衆に対する有価証券市場への投資を奨励する政策上の理由からであると解されるので、右の主張も論拠のないものといわなければならない。

(二)、そこで問題は、この商品先物取引によつて生じた商品取引清算益がいかなる所得に当るかである。

所得税法二七条一項によると、事業所得とは農業、漁業、製造業、卸売業、小売業、サービス業その他の事業で政令で定めるものから生ずる所得をいうとされており、同法施行令は六三条一号ないし一一号で林業、建築業、金融業、不動産業、運輸通信業、医療保健業等多数の事業を掲げ、同条一二号においてさらに「前各号に掲げるもののほか、対価を得て継続的に行なう事業」と定めている。

ところで、この対価を得て継続的に行なう事業という場合の「事業」とは、社会通念に照らし、事業と認められるもの、すなわち個人の危険と計算において独立的に継続して営まれる仕事をいい、所得税法の所得課税の目的から、原則として対価を得ること、すなわち営利性、有償性のあるものを総称すると解するのが相当である。

そして当業者ではなく、一般顧客の差金決済による利得を目的として行なわれる商品先物取引が右の対価を得て継続的に行なう事業に当るかどうかは、当該取引の回数、数量、金額、過去の取引の状況、取引のための施設その他の状況に照らして決すべきものと考える。

そこで本件における被告人の商品先物取引の実態についてみるに、原審において適法に取り調べた関係証拠によれば、つぎのような事実が認められる。被告人は昭和二六年ころ商品(繊維)取引の仲買人岡地貞一商店に入り、同店の豊橋出張所責任者として二、三年勤務し、そのころ同商店が岡地株式会社になると同時に被告人も同会社豊橋出張所長となり、昭和三九年一月同社を退職するまで右出張所長として商品取引の受託等の業務に従事したものであるが、退職後の同四一年一月以降は、仕事の大部分を生糸等商品の清算取引(差金決済取引)に充て、その収入によつて生活費を賄い資産の増加をはかつてきたものであり、そのための事務所ないし事業所を自宅以外に設けるようなことはしなかつたが、日常自宅において、午前八時ころから九時ころまでにまず業界紙や新聞などを通覧して当日の相場を見込み、午前九時ころから午後四時ころまで終始仲買店と電話で連絡をとりつつ取引の注文をなし、夕刻から夜半にかけては資料の収集とケイ線の作成に当つていた。

かくして、被告人は昭和四〇年と四一年にも相当の商品取引清算益収入を挙げたが、本件の同四二年一月一日より同年一二月三一日までの一年間には、さらに差金決済益を得る目的で本名および大山大介、豊浜中、水谷菊之助という架空名義にて岡地株式会社(豊橋出張所)、土井商事株式会社(浜松出張所)、大阪衣料株式会社(浜松支店)に委託して横浜生糸、神戸生糸、名古屋毛糸、大阪三品(綿糸)の先物取引を行い、年間少なくとも二百数十回に亘り、九百数十枚の「売り」注文と三百数十回に亘り六百数十枚の「買い」注文をし、総取引金額は売り八億五、七〇〇余万円、買い八億一、〇〇〇余万円手仕舞いした枚数は九八四枚に達し、四、四七六万九、二〇〇円の商品取引清算益収入を挙げたのである。

以上の事実を総合考察すると、本件の商品先物取引は、被告人の危険と計算のもとに独立的に継続して行なわれた生糸等商品の売買であつて、かつ大量に反覆継続した営利行為で、社会通念上対価を得て継続的に行なう事業と認められるものである。

したがつてこれから生じた本件の商品取引清算益四、四七六万九、二〇〇円は所得税法上の事業所得に係る収入であり、右の金額から所定の経費等を控除した本件商品取引清算所得四、三五二万二、二四〇円は同法上の事業所得と認めるのが相当である。

右の点につき、各所論は、本件の如く差金決済による利益のみを目的として行なわれる商品先物取引には、偶然性が強く支配し、客観的な営利性がないから、右取引を継続して行なつても、それは事業とは認められないものである。このことは、地方税法において本件の如き商品先物取引を事業税の課税対象にしていないところからも明らかであるという。

なるほど、差金決済による利益のみを目的として行なわれる商品先物取引には堅実な実物取引と比較して、その営利性に不確実さがあることは明白であるが、個々の取引について利益の発生が不確実であるからといつて、直ちに本件の如く被告人自身がケイ線を作成し、その他の相場資料を収集して相場の変動を見込んだうえで、反覆継続して大量に行なつた取引についての営利性、事業性を否定することはできない。また事業税は応益負担の原則に立脚して、個人、法人の事業に対し、所得または収入金額を課税標準として課する都道府県税で、所得税とはその性格を異にし、法令上、法人については公共法人を除くすべての法人を課税対象としているが、個人についてはその行なう第一種事業(商工業等四一業種)、第二種事業(原始産業四業種)および第三種事業(主として自由業二九業種)に対して課税されるという法定列挙主義を採用している。したがつて地方税法および政令の定める事業税の対象となる事業の中に、本件の如き、一般顧客の差額決済による利益のみを目的とする商品先物取引が掲記されていないことは何んら異とするには当らない。

右の次第で本件の商品取引清算所得を事業所得と認めた原判決の認定判断は正当として是認することができる。各論旨は理由がない。

二、弁護人の控訴趣意第一の三および第二の一のうち雑所得に関する主張について

後記のとおり、被告人としては、本件商品取引清算所得を非課税所得と確信していたとは認めがたく、この所得に対し、所得税が課せられることを認識していた。したがつて被告人の昭和四五年四月二七日付質問てん末書の信用性を、所論の主張するような理由で疑うべきふしはない。

右の質問てん末書によれば、被告人は収税官吏大蔵事務官の割引債の償還差益などの所得をなぜ申告しなかつたかという問に対し、「割引債を買つたのは四一年が最初で、株式のように大部分が四〇年以前に買つたものであれば購入資金の出所を追求される心配もありませんが、割引債については、四二年には約二、八〇〇万円も買つており、その資金源を明らかにすれば、清算益も判つてしまいますので、買入れも日本勧業角丸証券の浜松支店で大部分を仮名の口座で買つており、申告しませんでした」と供述している。これによれば被告人は雑所得一一万五、〇〇三円について逋脱の意思があつたものと認められる。原判決には所論の事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

三、弁護人の控訴趣意第二(逋脱の意思および不正な行為)について

原審において適法に取り調べた関係証拠によると、被告人は、従前から一般顧客の差金決済のみを目的とする商品先物取引(商品清算取引)による所得に対しては、所得税は課すべきではないという考えを持つていたが、実務の実際においては、過去に課税された実例のあることを知つていたのみならず、本件間際にも、被告人と同様に岡地株式会社豊橋出張所に出入りしていたホテル経営者糟谷仙一が昭和四〇年中に七〇二万円余りの商品取引清算所得を挙げたのを所轄税務署に発見され、同人は同四一年一二月二三日詮方なく修正申告をして右所得に対する所得税を納付したが、被告人はこのこともその頃岡地株式会社の社員から聞かされていたこと、そして、被告人は昭和四二年中に四、三五二万二、二四〇円の商品取引清算所得を得たのに、ただ法定の申告期限内に所得税の確定申告書を提出しなかつたというだけではなく、これより先、昭和四一、二年頃委託先の土井商事株式会社浜松出張所に対し、被告人の取引内容を税務署員に見られないように配慮されたい旨の申入れをし、もし税務署員の調査があつたときには、本名と豊浜中なる架空名義の二本立で右会社に委託した商品先物取引の中で架空名義によるものについては、被告人の取引ではないとして押し通す旨を口外していたこと、さらに実際には商品取引清算益の一部を日常の生活費に充てていたのに、昭和四二年一月以降同会社から毎月五万円の講演料をもらい、日常の生活費には、これを充てている如く仮装するため、内容虚偽の領収証を作成して同会社に差し入れていたことが認められる。

また昭和四〇年か四一年頃、日本勧業角丸証券株式会社浜松支店の営業係江間得二が被告人に対し「架空名義を使つているのをやめにして本名一本で取引願えないか」という申入れをしたのに対し、被告人は「本名一本にしたら税務署の方に判つてしまうのではないか、そうなつた場合会社ではどんな責任をとつてくれるか」と反問して右の申入れを拒否したことがあつた。

以上の事実関係からみると、被告人は、商品清算取引による所得には所得税を課すべきではないという意見を持つていたとはいえ、それはあくまでも被告人なりに考えた希望的意見にすぎず、税法上はこの所得も税務署に発見されれば課税されるという認識を持つていたことは明らかである。

このことと、証人竹市肇尋問調書の記載内容に徴して措信すべきものと認められる被告人の大蔵事務官に対する昭和四五年二月二八日付質問てん末書および検察官に対する同年一二月二二日付供述調書、鈴木忠夫の検察官に対する供述調書などを総合して考察すれば、本件の商品先物取引清算所得につき、被告人には所得税逋脱の意思があつたこと、前記のように、被告人が昭和四二年中における本件商品先物取引を委託するに際し、被告人の本名のほか大山大介、豊浜中、水谷菊之助などの架空名義を併用したのは、所論の主張する如く相場取引の作戦上の手段としてなされ、同時に所得税逋脱の手段として委託者をまぎらわしくするためであつたこと、そしてその商品先物取引によつて挙げた清算益金四、四七六万円余りの大部分を架空名義の預金あるいは無記名の証券等にかえたのは、相場に敗れたときに再起する財産保金のためと、同時に税金対策として所得を秘匿するためであつたことを、それぞれ認めることができる。

そして、これら架空名義による取引や預金の設定は、取引の実態と所得の把握を困難ならしめ、ひいては租税の賦課徴収を困難ならしめるに足る行為で、かつ社会通念上不正と認められるから、本件において、原判決が被告人の犯意を認め、架空名義による取引の委託や預金の設定を「不正の行為」として認定したのは相当である。

ただ原判決はさらに被告人が右の清算益金を無記名の証券等にかえた行為までも「不正の行為」として判示している。関係証拠によると、この無記名の証券等とは割長、割興、国債等公社債と貸付信託と認められるが、これら無記名式で発行されている公社債や貸付信託を購入する行為は、被告人の主観的意図のいかんを問わず、社会通念上不正の行為とは認められない。したがつて被告人が清算益金を無記名の証券等にかえた行為までも「不正の行為」と判示した原判決には法令の解釈を誤つた違法があるといわなければならないが、この点についての法令の解釈の誤りはいまだ判決に影響をおよぼすことが明らかであるとは認められない。論旨は結局理由がない。

よつて、本件控訴は刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 三井明 判事 石崎四郎 判事 杉山忠雄)

弁護人山本稜威雄の控訴趣意

原判決は法律の適用を誤り且事実の誤認があり、右はいづれも判決に影響を及ぼすこと顕著であると信ずる

第一、法律の適用を誤りたる点につき

一、商品先物取引による清算益(以下商品益と略称)は所得税法にナジマナイ所得」

商品益が所得税法にナジマナイ所得換言すれば所得税法の規制していない所得であるのにこれに所得税法第二七条同施行令第六三条を適用して事業所得と認定した違法がある、

即ち原判決は公訴事実通り被告人の昭和四二年分の総所得を

四三、六三七、二四三円

と認定している処その内商品益は

四三、五二二、二四〇円

で残り

一一五、〇〇三円

は割引(興業)債券の償還差益金であることは検察官の冒頭陳述により明白である。

よつて割引(興業)債券の償還差益金の点は暫く措き先づ商品益について検討することとする。

1、原判決は「本件商品先物取引はその態様及び利益額から見て営利を目的とする継続的行為でありしたがつてこれら生じた本件所得は事業所得であると認めるべきであるから云々」として本件商品益を事業所得と認定している

処が注意すべきは所得税法においては課税所得の範囲を同法第七条において規定しその課税所得の種類を同法第二三条乃至第三五条に明定しながら同第二七条第一項の「事業所得」に所謂「事業」については何等定義を下していない点である」、抑々事業とは経済学上の概念である、

そして経済学上の概念としての事業とは

(1)  営利の目的

(2)  同種行為の反覆(同種行為の継続)

(3)  利益の確率(行為の有償性)

の三要素が必要である

或行為が事業と呼ばれるには先づ利益を得る目的のあることが必要である、次にその行為は継続的に反覆されることが必要である、同種行為が継続的に反覆されることなきところには事業は成立しない、次に事業と云はれるためには利益を得ることの確率(行為の有償性乃至は対価性)、即ち利益を得ることの確実性なきところには事業は到底成立しない、蓋し何人も利益を得る確実性にあつてこそ人は仕事を始めるからである

そしてこれを商品先物取引が右に所謂事業として成立するものなりや否やについて観察するに、そのこれをなすに当りては利益を得る目的にて盛に売つたり買つたりするのであるから営利の目的に同種行為が継続的に反覆される点については何等疑ないところであるがその利益の確率の点換言すれば利益を得ることの確率性の点については後述する畑仲石一の如き場合を除き何人も肯定しないでありませう

何となれば商品先物取引はセリ売買の方法で取引するが同じセリ売買の方法で取引する青果物市場や魚市場において青果物、魚類と引換に代金を支払つて取引を終了するのとは全く異なり株式の信用取引、若しくは新株の発行日取引と全く同じく一定の時期(新株発行日取引の場合は新株の発行日)が来れば損得に拘はらず売の場合は買い、買いの場合は売つて必ず手仕舞いして決済しなければならない仕組みになつていてこれを株式の現物を所持して自己の希望する値段のつくまで待つていて売り又自己の希望する値が出来るまで待つていて現物を買取る所謂現物売買とは全くその趣を異にしているのである、即ち商品先物取引といい株式の信用取引又は新株の発行日取引といい相場は諸種の要因により常に乱高下しているため一、二年は運よく利益を得ても引続き一、二年相場をして居れば利益を吐き出しただけでは足らず、赤字となり産を失つてしまうのである、相場界に何々将軍と云はれて雄飛して大儲をした人も遂には赤字の始末が出来ずして自殺するが、自殺しないまでも裏店住いに身をやつすのが関の山である、相場による利益は相場から足を洗つてしまはない限り利益は利益として手許に残らないのである。

若しそれ商品先物取引若しくは株式の信用取引又は新株の発行日取引に利益の確率があるならばこれだけを目的とする有限会社なり株式会社なりが全国到る処に設立されている筈であるのに斯る会社は一つも存在しないのは此の間の事情を最も雄弁に物語つているのである即ち商品先物取引及び株式の信用取引乃至新株の発行日取引は経済学上からも亦現実の問題としても事業として成立しないからである。

或はこれに対し商品取引所の商品取引員(商品仲買人)、証券取引所の取引員である証券業者は立派に営業しているではないかと云う者があるかもしれないが商品取引員は顧客の商品先物取引に対する委託手数料や商品実物の売買による収益によつて経営して居り、又証券業者も顧客の株式の信用取引乃至は新株の発行日取引、現物売買の委託手数料、実株売買の収益乃至は公社債の引受手数料によつて経営して居り自ら商品先物取引或は株式の信用取引又は新株の発行日取引のみを以て営業目的としているものはない、これのみを以てしては不安定のため到底事業として成立する見込がないからである。

従つて事業として成立しないのに偶々或一年間、所得があつたからとて、その所得たるやいづれは喪失さるべき所得で云はば仮受金的性質のものであるからこれに事業所得として課税するは違法も亦甚しいと云はなければならない

2、次に所得税の本質は飽くまでも所得に対して課税する点にある

商品益は前記の通り仮りに一、二年は運よく所得を挙げても引続き相場をやつて居ればいづれはその所得は消失してしまう性質のものであるから所得を挙げた年にのみ課税して損をした年はその損失が見て貰えず即ち損益は通算されず不問に付されているのが現実である、この現実は所得税の本質に照らし何人が観ても著しく法の生命である正義公平の観念に反することは明らかである、これ畢竟商品益は一年を以て課税単位としている所得税法にはナジマナイ所得であるからである、換言すれば商品益はその性質上所得税法の埓外即ち規制外にあるのにこれに対し強いて所得税法を適用して課税しようとするから右の如き不合理を生ずるのである〈注〉、

右の如く所得税法の規制外の所得であるから商品益を所得税法第三四条の一時所得、或は同法第三五条の雑所得と観ることの違法なることは勿論である

〈注〉 或は云は所得税法第七〇条によれば青色申告をして居れば三年間は遡つて損益は通算されるからこの非難は当らないと、然しながら青色申告により損益の通算されるのは所得税法第一四三条により不動産所得、事業所得又は山林所得の三所得に限られている処前記の通り本件商品益は事業所得に該当していないからこの説は採用しない

3、有価証券の譲渡による所得は非課税を原則とし課税を例外とする規定ありながらその取引態様全く同一である商品益にこの種規定なきは如何

商品先物取引とその取引態様が全く同一である株式の信用取引又は新株の発行日取引による所得も亦所得税法にナジマナイ所得であることは特にその説明の要なき処所得税法はその第九条第一一号に於て株式の信用取引及び新株の発行日取引を含め広く有価証券の譲渡による所得は非課税を原則とし課税を例外としている

商品益についてこの種規定なく有価証券の譲渡による所得について之れあるは有価証券は広く国民各層に行きわたつて遙に大衆性あるためにほかならない

これを有価証券の譲渡による所得につき非課税を原則とし課税を例外とする規定あるに反し商品益につきその規定なきは課税を建前としているためであるとする見解抑々商品益の本質即ち商品益は所得税法にナジマナイ所得であることを理解していない証左であつてそのこれにつき規定なきは理の当然とする処である

4、商品先物取引即ち商品相場は株式の信用取引又は新株の発行日取引と同様地方税法の事業税に所謂事業に該当しない地方税法にも事業税の規定がありその詳細は同法第七二条以下に規定している

そして右第七二条には地方税である事業税は第一種事業第二種事業及び第三種事業に対しその所得を基準として課税し第一種事業は同条第五項に第二種事業同条第六項に第三種事業は同条第七項に夫々詳細に列記しある処商品先物取引、株式の信用取引及び新株の発行日取引については右列記から洩れている、その洩れている所以のものはこの種取引は営利の目的で如何に継続的に行つても利益の確率(有償性)がない故事業と認められないからである

さればこそ被告人は当局の勧奨的命令により昭和四四年一二月三日不本意ながら本件所得を事業所得として申告した関係で所得税を課せられたため地方税法第七二条により昭和四五年一月一四日静岡県から地方税法による事業税を課せられたので被告人は商品先物取引は地方税法第七二条に列記してある事業より洩れているから換言すれば列記の事業には該当しないから納税の義務なき旨の異議を述べて同月三一日一応納付したが、その異議は認められて昭和四五年一一月二七日附で還付の通知があり当時還付されたのである

(以上課税の通知、納税の領収書及び還付の通知書は当審において証拠として申請の予定)

5、憲法は租税法定主義を採用している

国税を規定する所得税法に謂うところの事業所得に所謂事業も亦地方税を規律する地方税法に所謂事業税に謂うところの事業も特段の事情なき限り同一に解すべき処商品先物取引につき前者においては国税当局はこれを事業とし後者においては県税当局は然らずとする、豈斯の如き奇観あらんや

抑々憲法は刑罰につき第三一条において罪刑法定主義を採用して疑はしきは罰せずとの建前を採つていると同様に租税についてもその第三〇条において租税法定主義を採用し

国民は法律の定めるところにより納税の義務を負う

と明定して租税法規の類推適用を禁じて当局の恣意による課税を許さないとともに疑はしきは課税せずとの建前を採つている

6、商品益に所得税を課せんとするには新立法がほかに途なし

これを被告人の商品益について観察するに被告人が昭和四二年に於て利益を上げ得たのは被告人が思う通りに相場を動かして儲けたのではなく丁度運よく相場の波に乗つたから儲つたのであつて利益の確率があつて儲けたのではない、現に被告人の第四回公判調書(供述)四枚目裏にその供述として昭和四三年度以降相当な金額の損失をした旨記載がある従つて被告人の商品益につきこれを事業所得として認定し課税することの不当違法なること上来の記述により茲に特に説明の要なき処である

判決書に挙示している全証拠を以てしても商品益につき経済学の原則並に所得の本質を無視してもよいとの結論は出て来ない、本件商品益の巨額なると取引回数の多きとに眩惑されて所得税を適用せんとするが如きは冷静な法律論ではなく市井の感情論でしかない

従つて商品益に所得税法を適用せんとするには新に立法する以外にその途なしと信ずるのである

二、畑仲石一に対する所得税法違反被告事件につき昭和三八年一〇月三一日なした最高裁判例は本件に適切でない

右判例は被告人畑仲石一の商品(人絹)先物取引による利益は所得税法に云う事業所得ではなく一時所得であるとの弁護人の主張を斥けて日く

弁護人吉田耕三、同芹沢政光、同志貴信明の上告趣意は事実誤認、単なる法令違反(清算所得を得る目的で自己の主宰する会社の人的物的施設を利用して、年間、売り買いともに数百件の人絹清算取引の委託をなし、取引金額二億円に近く、利益所得も約七八〇万円ないし約二、八〇〇万円にのぼる本件清算取引は営利を目的とする継続的に行う事業による所得として所得税法上の事業所得と認むるを相当とし同法上の一時所得と認むべきものではないとした原判示は正当である)、量刑不当の主張であつて刑訴四〇五条の上告理由に当らない

また記録を調べても所論の点につき同四一一条を適用すべきものとは認められない

よつて同四一四条、三八六条一項三号により裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する

とある

よつて先づ右畑仲石一は如何なる人物であるかと云うに右畑仲に対する控訴審の判決によると

被告人は福井市内において永く織物販売業に従事していたが昭和二五年三月同市佐佳枝中町一二七番地に原糸及び織物の販売を業とする株式会社畑仲石一商店を設立し自ら代表取締役となつたうえ昭和二六年二月福井人絹取引所が再開されるや同取引所に右会社を商品仲質人として加入させ同会社の業務として同取引所の開設した商品市場において人絹糸の先物取引に従事するとともに自己個人においても同会社に委託し或は同取引所に加入している他の商品仲買人又は大阪人絹取引所加入の商品仲買人に委託し継続して人絹糸の先物取引をなし来たり云々

とあつて彼は原糸及び織物販売を業とする株式会社畑仲石一商店の代表取締役社長であり又同会社を福井人絹取引に仲買人として加入させ会社の業務として同取引所の開設した商品市場において人絹糸の先物取引に従事すると共に自己個人においても前記の通り先物取引をしたと云うのであるからその経験と資力に物を云はせ殊に仲買人の特権

(1)  手許に保留している顧客より預つた証拠金の利用(註)

(2)  顧客の相場の残り方を知りこれに売り向い又は買い向い、特に相場に儲つている顧客の売り又は買に同調して速に勝機を掴み得る便宜がある

(3)  他の仲買人と組んで大相場を展開することができる

(註) 仲買人が客より預る人絹一枚(約五〇〇キログラム)に対する証拠金を仮に二万円とすると彼はその内二分の一を取引所に納め残りは自己の手許に保留して自己の相場に利用することができる従つて客が多ければ多い程この特権は強力になる

を利用して彼は一時的にせよ自己の思うままに人絹相場を左右し価格を形成し得る実力者である、換言すれば彼の相場には一時的にせよ利益の確率があるから彼の人絹先物取引はこれを事業と看做して何等差支ない

然るに本件被告人は斯る実力者ではなく、彼畑仲とは釣鐘と提灯の比にも及ばない吹けば飛ぶような小口の相場師である、斯る弱少小口の相場師が如何に全力を傾けても亦何人協力しても相場を左右し得るものではない、従つて利益の確率性がないから何回継続的に売買しても事業にはならない、即ち彼畑仲にありては事業なれども被告人にとつては事業ではない

本件被告人の場合を畑仲の案件と同一なりと速断して概論一掃することは特に慎しむべきであつて商品相場における両者の地位が全く異つているから右判例は本件に適切でない

実力者畑仲と雛も長く相場をやつて居ればいづれは利益の確率性を失い事業とはならなくなる、要は一時的にせよ利益の確率性がある間は事業と見做され又見做すべきであると弁護人は主張するものである

三、雑所得につき過失を処罰している違法がある

割引(興業)債券を額面以下にて購入し償還期に額面にて償還を受けた場合購入価格と額面にて償還を受けた場合の差額即ち償還差益金

一一五、〇〇三円

は原判決ではこれを何所得と認めたかは不明であるが右は雑所得と認定すべきである

而して被告人は右割引債券購入にあたり額面以下にて購入したことは記憶しているが償還時に右の如き差金のありたることは失念していた処今回名古屋国税局査察官が本件取調の過程において発見してこれを被告人に教え、被告人も教えられて始めて知つたのである、従つて過失として問擬するなら格別故意犯としては全然問題にならないと信ずる

償還時額面で償還を受けたのであるから算数上これより購入価格を差引きその差額に課税すると云うなら即ち課税問題として処理する場合はそれでよいが苟も刑事問題として取上げるにあたりては故意又は過失を要すること勿論である、而して所得税法第二三八条の罪には過失を処罰する規定がないから飽くまでも故意を要する、故意を要する犯罪に査察官の命ずるままに被告人が作成した表記に単に数字の記載あるのみにては未だ以て故意ありとするには足りない、既にして犯意の認むべきものない以上本件雑所得の点は無罪であると信ずる尤も昭和四五年四月二七日附査察官の被告人に対する質問てん末書の第二問答中に巨額の割引債購入金の出所を追及されるおそれがあつたから償還差益金を故意に申告しなかつた旨被告人は供述しているが商品益で割引債券を買つたことは間違ないが後記の通り被告人は商品益は非課税なりと信じていたから斯様な供述をする筈がなく右てん末書の記載は査察官の創作以外何物でもない

被告人小幡萬夫の控訴趣意

一、序説

所得税は本来、国民の個人の「儲け」のうちから納付するのが建前である。商品先物取引に因る益金は、一般の取引客の場合、或る年は儲けても、或る年は損となり、其の年偶々儲けても、以前には多大の損失があり、その益金は再度投機資金に使はれ、将来の損失の場合の準備となるから、其の年の儲けは、結局は仮り受金の如きに過ぎない。それは此の取引から来る独特のものであるが、順次その理由を以下に述べる処である。此の様な経緯の益金に対して、収支計算単位を一年として、それを所得として、納税せしむるときは、年度を股いで通算したときに、「儲け」の無かつた個人よりも徴税した結果が生ずる。即ち、此の益金を以て、歴年制の現行所得税法の所謂「所得」として取扱えば、前記「儲け」の中から納付するの所得税の本義に反するから、その「所得」には該当すべきものではなく、その対象外となつて、非課税が本当である。特に、現行所得税法には、年度々々間の通算調整が此の種益金に対して制度的に欠けているから、然る可きものである。

然し乍ら、之れを以て所得税法の所謂「所得」とした場合には、此の益金から諸経費を差引いた純益、即ちその所得は、所得の果する性質(所得理論)より、有価証券(特に信用取引の場合)とは所得理論を共通するから、所得税法九条十一にて、有価証券売買益金が、非課税所得となつている以上、同様に非課税所得となる。之れに付て、以下述べる次第。

尚、此の取引では、税制組織から、税収の実を充分考慮されている取引所税法を以て、一般個人の取引客も、取引税を転嫁方式にて、一様に完納しているものである。

二、株式信用取引と所得税法施行令二六条。

1、有価証券売買益金は非課税所得。

有価証券の売買益金を、原則として、非課税所得であると定めた法九条十一を受けた施行令二六条1は、例外として課税所得となる場合を規定し、それは、営利目的・継続的行為と認められる取引から生じた所得の場合と定義している。

之れに依れば、売買を行なう者の諸状況の如何では、営利目的継続的行為の該当所得として認定出来ることとなつている。

2、信用取引では、営利目的・継続的行為存在の認定は許されない。

株式(有価証券)売買の、その取引の一種である信用取引は、昭和二八年八月二七日大蔵省令七五号にて意味を定め、売買保証金関係は証券取引法四九条にて規定されてあるが(発行日決済取引も同様であるから之れは論点から省略する)証券会社が顧客に信用を供与して行なうもので、株式に於ける銘柄の示す価格を対象として売買し、時間の移転に依つて生ずる価格の差額を求めた投機取引であり、而かも、期限の制約がある(普通六ケ月)「値段本位」の売買である。(昭和四十三年四月社団法人全国商品取引所連合会刊行、商品取引所関係法令解説書、八頁5~8行目参照--此の写別紙1)

値段本位売買の特徴は、現品に於ける、将来に出現する値段を予測して、現在と将来との値段差を求めて、現在にての売買であつて、それは、未来の判断が成否を決定する。未来に就ては、誰人も、常に的中すること不可能であり、的中僥倖の運勢も長続きするものでは無いことからして、此の取引で売買し、仕掛けた売買分(建玉と云う)を期限内に手仕舞つて、決済義務を果した際、其処に赤字か黒字かは、不確定であり、即ち収益がアテにはならず、或る年は儲けても、或る年は損となり、年度を股ぎ通算するときは、結局は損勘定となつているのが通例である。(実例は両三年を通計して赤字となる事殆んどであり、赤字累積から、使い込み、横領などの犯罪が起つていること、ニユース・テレビを賑はしている)

現株取引が株式の株券のヤリ・トリであるのとは異り、信用取引は株式の銘柄につく値段のヤリ・トリとなる売買であると云える。而して信用取引は儲かると決つたヤリ・トリではなく、寧ろ損失が普通となつている投機取引である。

令二六条1は有価証券益の非課税所得原則に対して、例外規定であり、従つて、其の規定している認定条件は必須要件となる。而して、必須要件の一として「売買についての取引の種類」の文句の規定が明記されてある。之れは、種類如何にては、他の要件(売買回数、数量、金額等)を充足しても、認定が出来ない場合を規定したのであるが、株式の取引の種類には二種があり、それは現株取引と信用取引とである。

株式を品物として見た場合、現株取引は、魚類・青果物市場にての物品の取引とは同様となり、而して実物本位の売買では、営利目的・継続的行為が在るが如く、その売買回数、数量、金額、資金調達方法、売買の施設及び其の他の状況から、同様に営利目的・継続的行為は此の取引にても承認され得る。即ち現株取引では49回の売買、19万株の取引でも、其の売買益金については課税所得となり得る場合がある。

然れども、上記二種類の残り信用取引は、売買建玉には期限があり、現株取引の場合が株式を欲する日、欲する値段の出現する迄譲渡せずに済まし得るとの違い、一定の日迄に、値段の高安に不拘、手仕舞いせねばならぬことより、売買仕掛の見込の如何に因つては、成否が異つて来る売買である。この事は、何人も未来を的中すること不可能からであつて、信用取引では、収益がアテにならず、又幸運も永続不可能より反覆行為しても増収するとはきまらないことを意味するものである。斯くの如き、所得の由来する経緯から、信用取引の場合は、収益の確率なきものであり、且つは、収支期間を一年単位としては不都合でもあるから、営利目的・継続的行為認定には抑々其の対象には入らぬものである。

仍ち、「売買についての取引の種類」の規定は、客観的に対象外のものには、認定にて存在するとなすことを許さぬと為したものであるが、同時に、有価証券益が非課税所得となるの理由は、産業経済資金の調達及び流通の便など政策上のみに非ずして、所得理論上からも存在することを注意として示したものでもある。

以上此の項を要約すれば、信用取引は値段本位の取引であり、令二六条1の明記にて、認定対象から除外されてあり、其の益金は非課税所得であつて、それは所得理論上から左様になつたものである。

尚、令二六条2の規定限度を超ゆる際は信用取引の場合と雖も、課税所得となるが、それは、此の有権規定の然らしめる処である。

三、商品先物取引の益金。

〔1〕 非課税所得であるの根據。

商品先物取引は商品取引所法二条4の定める処により、将来、一定の時期(通例六ケ月)に於て、売買の目的物となつている商品及びその対価を現に授受するよう制約された取引であつて、現に商品の転売又は買戻をしたときは、差金の授受に依つて、決済することが出来る、社会的に是認された投機取引であり、その取引の基礎的態様は、株式信用取引と共通して、商品の現物に非ずして値段を本位とする市場取引である。(前記、商品取引所関係法令解説書七頁18行(5) 参照--此の写別紙II)

同様な事象には同様に処理されるのが条理である。投機取引として、上記の如く、期限の制約がある、値段本位の売買である処の株式信用取引の売買益金が令二六条1にて、営利目的・継続的行為の認定自体を不可とした所得であるのと同様に、此の益金にも亦不可となり、非課税所得が妥当する。

〔2〕 課税所得であるとする見解及びその批判。

(甲) 例示事項と解する立場。

信用取引と雖も、諸般を綜合した上の判断にて、営利目的・継続的行為の存在を認定出来るものとなし、課税所得の場合があり得るが故に、値段本位売買として態様を共通する商品先物取引も課税所得の場合が肯定される。而して、令二六条1の条件は、認定の為の例示事項である、とする見解。

然れども、右に対しては、

A、令二六条1の「売買についての取引の種類」の文句が特に、明記されてある意味と、こと更に存在する理由を無視抹殺することとなり。

B、信用取引は、期限のある値段本位取引であるに不拘、実物本位取引である現株売買とを区別することなく混同視し、且つ、非課税所得理由を政策上とのみ解し、現株売買が産業資金の調達及び流通の便等が主となつていても、信用取引では更に所得理論上からの理由をも有している点を考慮せず。

C、令二六条1の解釈に於て、記載された条件と例示事項と為すのは、有価証券益の非課税所得原則を実質上、空文化する解釈の仕方であり、解釈論理を誤つている。即ち例外規定は厳格である可きもので、記載された条件は最小限の必須要件である。

D、令二六条2の限度を定めた規定は、現物取引である不動産売買益の場合に均衡せしむる可く立法された事情と、此の限度が営利目的・継続的行為か否かの単なる判定基準と解することは今日的でないこと。即ち、現在の証券界の実情は、国民経済の急速なる成長より、取引量、金額、或は産業資本の資金量等に於て昭和三六年立法当時とはスケールが余りにも乗離しているのに照し、此の令二六条2の規定は今や有権的の存在のみであつて、その実情に妥当する判定基準とはならない〔註〕

以上により値段本位売買には、後記四、の畑仲氏の場合の如き特殊な例を除き一般的には課税所得とすることは誤りとなる。

〔註〕

令二六条1の規定する条件を、例示事項となし、且つ、令二六条2の限度を営利目的・継続的行為判定基準と解しつつも、現株取引の場合とは異り、信用取引に於ては、50回・20万株以下では、営利目的・継続的行為は認定としても該当せずとの見解がある。

之れは、「売買についての取引の種類」なる規定を度外視してはおらず、認定に当つては信用取引の場合に、特殊な所得理論の存在を肯定している処でもあり、株式有価証券益非課税所得理由が政策上のみならず、所得理論からもあることを承認しているが故に、必須要件と解する立場の根本と実質上異ること無く、同調出来る次第。信用取引を斯く解する見解に従つて、商品先物取引の場合を見れば、一般的には非課税所得となり、有価証券の場合の判定基準存在の立法当時の趣旨に照し、商品相場社会の実情常識から、買占、売崩しの仕手又は之れに匹敵して超大量の建玉を行なう特別な大口仕手筋の売買が課税所得に該当することゝなる。

(乙) 非課税所得とする適用規定を欠く、とする立場。

信用取引を含めた有価証券には、法九条十一の明文規定があるが、商品先物取引の場合には、明文の該当規定を欠くが故に、課税所得である、とする見解。

然れども右に対しては

A、同様な事象には同様に取扱はれるのが条理であること。

所得税法は「所得」を課税所得、非課税所得、及び免税所得の三部門に区分して、各分野を尊重している。該当部門に規定無きを理由として、直ちに、他の部門に属すると解するのは尚早であつて、部門部門の各独立分野に属するものにして、形式的には、規定を欠く事象も存在する。同様事象には其の部門に該当するのが自然である。

商品先物取引の場合の所得理論は株式信用取引の場合の所得理論と同様であるから、正に非課税所得の部門に属す可きものである。

所得税法は「所得」(法七条)の概念に付、よく確定することなくして、之れを経済的理論解釈に委せ、其の規定する種類の所得項目(法二三~三三条の各種所得)から漏れた所得を一と先ず一時所得(法三四条)最終的には雑所得(法三五条)にて包括しているが、所得理論上、負担能力上、計算技術上、等の理由及び政策上の理由から考慮して、一時所得にも、最終的な雑所得にも該当せしむることを不適当であると判定して、非課税所得部門を設け、免税所得部門が立法されているのが、所得税法の組織となつている。

斯る部門別となつている非課税所得には、税法は定義を与えていない。即ち、定義無ければ、此の部門の有する理念から湧出した純理が優先し、政策上の理由は除外しても、純理上、所得理論負担能力計算技術上等にて、同様な所得には此の部門に帰属すべきものである。

B、非課税所得は限定項目の所得ではない。

非課税所得は凡て政策上の理由から設けられたものではない。上記の所得理論上、負担能力上、計算技術上等の理由は条理に照し、追認の意にて非課税所得となつているものである。特定政策上から非課税所得と特に規定されたものこそ、限定解釈で臨む可きものである。又、非課税所得は、文字通り、納税の義務なく、国民の自由のものである。明文規定を欠くとして、直ちに課税所得なりとして、自由を狭く限定するの思考は、先物取引が本来的には、現行所得税法の「所得」には該当しない事柄であるに鑑み、納税法定主義の趣旨にも反する。

仍ち、非課税所得には、税法に於て、定義なき処より、其の理由を一切特定政策上のものと誤解し、之れを限定の事項と解して、以て、商品先物取引の場合には、信用取引の場合とは別個とする見解は、解釈方法に誤りがある。信用取引には大衆性があるから、此の種取引の代表となつているのである。

C、税法の形式的解釈では示達にも反する。

事務規程ではあるが、国税庁長官の各国税局長宛に出ている所得税基本通達には、商品先物取引の益金処理に付、何等触れるものがない。触れること皆無のものは、此の基本通達の前文の示す処により妥当処理が求められてある。而して其の前文は、法令の趣旨、制度の背景のみならず条理、社会通念を勘案し、帰する処、形式主義解決を排して良識を要請してある。法令の趣旨、制度の背景からは、商品先物取引の場合は、取引の基礎的態様にて共通する信用取引の場合の待遇が良識に合うものとなる。

〔3〕 課税所得とする場合の不合理が出て来る点。

商品先物取引益金を「所得」として、課税所得に該当せしめた場合は、事業所得、一時所得、又は雑所得の何れかであるが、此等は左の如く、夫々不合理なものとなる。第一審最終陳述第一編で検討してあるが

イ、事業所得(法二七条)の場合、

此の取引は未来の判断が収益の成否を決定するから、収益がアテにならず、反覆行為も増収不定(損失増蒿が実例)であつて、而して、未来に付ては、何人も的中することは不可能であるより、その仕事には原則として有償性が無い。法の所謂「事業」とは、社会通念上、原則として儲け得る仕事を前提としているから、此の所得に該当せしむることは違法となる。従つて、事業所得でなければ青色申告も出来ない。(法一四三条)青色申告制度を利用すれば、遡つて三年以前から通算が出来て、此の益金につき、年度々々間の損得に調整が三年ではあるが可能となる(法七〇条)

尤も、違法を犯して、事業所得として、青色制度を利用することとしても、青色申告は承認制度となつているから(法一四四条)儲かると決まつていない仕事を為している者に、予めその承認の申請を求めるのは実情には合致しない。

ロ、一時所得(法三四条)の場合、

僥倖的な所得であることは事実であるが、商品先物取引は、国民経済の発展と運営に参画する経済行為で(商品価格形成行為)趣味娯楽を建前とするギヤンブル式の競輪競馬の場合と同格視では社会常識的でなく、且つは、僥倖的ではあつても一時的ではない所得である。

即ち、一時所得ではないが、ギヤンブル式所得には類似する。類似としても之れを一時所得に該当することは社会常識から不当である。

一時所得では必要経費の外、特別の控除があり(法三四条2・3)課税所得としては更に1/2に半減するが(法二二条2二)前記の通り、青色申告無き事業所得が「純損失の繰越控除」(法七〇条)の適用を受けずして、年度々々間の通算計算を許されないのと同様、此の所得も「純損失の繰越控除」が出来ず〔註〕即ち、「儲け」なき処にも徴税がある結果を生ずる。尚、一時所得では年度内の損益通算(法六九条)も不可能。

ハ、雑所得(法三五条)の場合

雑所得は「所得」のうち各種の所得(法二三~三四条)から漏れた所得を対象とするが、余禄の如きものが該当する。其の獲得の為に、特別な失費は前提されず、依つて「純損失の繰越控除」は此の所得では認められずして損失は除外を受ける。即ち、「儲け」なき処にも徴税がある結果を生ずる。

尚此の所得には、課税所得額に於て、一時所得に於けるが如き、特別なる控除も無ければ、又1/2に半額する処も無い。競輪競馬の所得すら、斯る特典を着るに不拘、雑所得が之れを認めないの意味は、此の所得の対象が、其獲得に当つては上記の如く前後に於て、特別な失費が前提されない軽微なる所得を予定しているからである。

以上イ、ロ、ハ、の通り、此等各所得の対象とする所得概念には商品先物取引の場合は該当せず。従つて、其の適用は違法であるが、或る年は黒字、或る年は赤字となる実例から、年度を股いで通算の調整制度(法七〇条)の適用なき此等所得の在り方も、商品先物取引の場合に不合理となる。

要は、新立法なき限り、課税所得に該当せしむることは無理となり、所得税の基本理念に悖るものである。

〔註〕

法二条二十五にて、一時所得・雑所得の損失は純損失の意味に該当しない。

四、最高裁判所判例(昭三八・一〇・三一)に就て、

此の益金に関して、課税措置を肯定した畑仲石一氏に対する右判例は、此の売買が、値段本位であるにも不拘、継続的行為の事業と認めて、一時所得主張を退け、「事業所得」と判示しているが、之れは、商品仲買人(現在は商品取引員)の経営実権(カ)者である畑仲氏の場合に於て、斯く判決されたものであり、判示は商品先物(清算)取引益金を以て、普遍的に事業所得であると肯定したものではない。

斯く解する理由は、此の益金を、一般的に事業所得であるとは判示内容には記載されていないの外、仲買人は、第一審最終陳述第一編一(3) の乙(8~13頁)に説明しました通り、

1、客の委託証據金(売買を客が仲買人(店)に委託する際、保証の意味にて顧客より仲買店え提供する現金若くはその代用となる有価証券であり、金額は法定されるが時々変更があり、大体は取引額の二~三割に当る。昭和四三年以前は、受取りし此の金額から商品取引所え半額を売買保証金として仲買店は積立てることとなつている。而して、その仲買店として建玉分の数量に応じて提供するものであるが、顧客には売方も買方もあり、此等相殺した分が、其の仲買店の商品取引所え提供義務金額となるから、仲買店としては僅少額にて、要提供額を済まし得る。統計的には売買顧客から預託せしめた双方の合計額の20%位いが一仲買店の要提供額であり、残り80%位いが仲買店の手許にて利用されていたのが実情)の便宜使用が可能であるから、自己の手張りの場合は、自己建玉に対する必要証據金に充当することが出来る。仲買店が之れを利用すれば顧客の場合と異り半額の要証據金額で足り、且つは潤沢なる他人資本の援護にて、証據金不足に追込まれず、依つて不本意なる損失決済の面にも至らずして、実質上は建玉を長期に保持することが出来、それは恰も、現株取引したと同様に、自己の都合のよき日、良き値段にて処分することが可能となり、投機取引の性格を、投資取引に代置し、其の行為には収益の確率性が存在するよう変化する。仲買人は斯る特殊な利点を持つている(上記第一編10頁〔註1〕参照)

2、バイカイ其の他の手段(バイカイとは客の注文に対して、向いの売買をすることで、例えば、客の買10に対して仲買店は売10にて対抗し、客の買分が市場価格形成に寄与せしめざるよう施す行為であり、之れが取引所に届出がない場合は呑み行為として罰せられる)にて、客の注文に対して、向いの反対売買をなし、需給現象にて自然に出来上る可き商品の市場価格に行為を施し、自己の計算に有利となる可く、価格決定を操作する事が出来るから、価格差を求める此の取引に於ては、客の場合と異り、仲買人の売買行為には、収益のアテが出来る可能性がある。即ち商品先物取引は値段本位取引で、顧客の場合は収益の確率なきに不拘、仲買人に於ては、有償性のある仕事となり、又その可能なる地位に立つている(上記第一編11頁〔註2〕及び12頁〔註3〕参照)以上1、2、の特典を有する仲買人の売買は営利目的・継続的行為の、原則として儲け得る仕事となつている。

畑仲石一氏は斯る特典を有する仲買人の経営最高実権者であり(仲買人の法人代表者)其の地位より、仲買人としての立場を自己個人に集中して便乗し、外形は一般委託客であつても、実質は仲買人としての立場を、権力的に利用し、且つは、利益は自己勘定、損失は法人勘定えと振り替るの目的にて仮名を駆使した模様であるから、彼の場合は「事業所得」と判断されしものである。

仍ち、此の判決は、値段本位の売買である商品先物取引の益金を以て、事業所得也とは、一般的に肯定したものでは無く、畑仲石一氏の場合が事業所得としたものである。

五、結論

株式(有価証券)信用取引益金は非課税所得となつている。此の取引は、将来との価格差を求めて、株式銘柄に於ける価格を対象とする売買、即ち「値段本位の売買」である。それは成果が未来に懸り、収益の確率を欠くと共に、収支期間を一年単位とした為の不都合から、令二六条1の場合の「売買についての取引の種類」の規定で、現株売買とは区別され、営利目的・継続的行為存在の認定からは対象外となつている。

商品先物取引も同様に、期限の制約がある値段本位の売買であり、此の益金も、本来は現行所得税法の「所得」ではなく、その対象外であるから非課税となるが、税法の規定する「所得」なりとすれば、所得理論を共通する信用取引とは同様に、非課税所得に該当する。

仍ち、『儲けたら納税が当然である』と申すのが常識ではあるが、此の益金に付ては、収支に当り、先年には多大の損失が存在し、亦、後年には消耗して終る因果から、当年は、一時の仮り受金に該当するもの、之れは、売買の都度、顧客の支払う委託手数料のうちにて、取引税を納付していることでもあり、一年単位の現行所得税法では、此の取引の場合には特に寸法不足である。

尚、畑仲石一氏に対する最高裁の判決は、商品先物取引益金、即事業所得と判示してあるのでは無く、彼の場合が課税を肯定され、右に該当すると判断されてある。一般の顧客とはケースが異る。

以上にて、非課税乃至非課税所得が当然である。

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